この記事では、映画の疑問点や気になる要素を整理・検証しています。
作品の内容に触れていますので、未視聴の方はご注意ください。
『ヘイトフル・エイト』
2015年/監督:クエンティン・タランティーノ
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ヘイトフル・エイトのあらすじを整理
ラストの絞首刑を考える
『ヘイトフル・エイト』では、元北軍のマーキス・ウォーレンと元南軍のクリス・マニックスが、賞金首のデイジー・ドメルグを絞首刑にします。
構図だけ見ると、南北統一後のアメリカが協力して犯罪者を裁くようにも見えます。
絞首刑執行人の存在
本作の第3章では、絞首刑執行人を名乗るオズワルド・モブレーが、「文明社会の正義」と「西部の正義」の違いについて語る場面があります。
モブレーによれば、裁判を経て絞首刑執行人が死刑を行うのであれば、それは文明社会の正義と呼べるものです。
一方で、被害者の遺族や関係者が自ら手を下す私刑は、人々の欲求を満たす行為ではあっても、善と思って悪をなしているにすぎず、それは西部の正義だとされます。
そして両者の違いは、最終的には絞首刑執行人の存在にあり、文明社会の正義は偏見のない者によって下される必要がある、というのがモブレーの主張でした。
偽物の執行人が語る正義
興味深いのは、文明社会の正義を語っていたモブレー自身が、実際には絞首刑執行人ではなく、ギャングの一員だったことです。
さらに、作中ではマーキスとマニックスはモブレーの会話を聞いていません。
成り行きで行われた私刑
本作を見返してみると、マーキスはモブレーとジョー・ゲージを射殺したあと、続けてデイジーにも発砲しようとしますが、銃が弾切れを起こします。
その後、マニックスもデイジーを撃とうとしますが、マーキスは「撃ち殺すのは簡単すぎる」としてこれを制します。
そして「首吊り人」ジョン・ルースの意思を汲む形で、首吊りを提案します。
そして二人は苦しむデイジーを笑いながら眺めています。
この流れを見る限り、ラストの絞首刑は最初から文明的な処刑として選ばれたものではなく、その場の成り行きと感情の中で決まっているように見えます。
モブレーの基準に従えば、これは「文明社会の正義」というより、「西部の正義」あるいは単なる私刑に近いものだったと考えられます。