※この記事には、作品の内容に触れる表現や
ネタバレを含む場合があります。 未視聴の方はご注意ください。
グランド・ブダペスト・ホテル
(The Grand Budapest Hotel)
作品データ
2014年|アメリカ|コメディ・ドラマ
監督:ウェス・アンダーソン
出演:レイフ・ファインズ、トニー・レヴォロリ、
エドワード・ノートン、ティルダ・スウィントン ほか
これは「ホテル」の物語ではない
タイトルから想像されるのは、
豪華で優雅なホテルの群像劇。
でもこの映画の正体は、
失われていく世界への追悼
舞台となるグランド・ブダペスト・ホテルは、
かつて栄華を誇った場所。
だが物語が進むにつれ、
その輝きは少しずつ剥がれていく。
これは、
建物の話ではなく、
ある価値観が消えていく過程の物語。
ムッシュ・グスタヴという絶滅危惧種
ホテルの支配人ムッシュ・グスタヴ。
礼儀、詩、香水、完璧な立ち居振る舞い。
彼は徹底して「古い世界の人間」
教養と形式を信じ、
美しさには命を懸ける。
でも、
世界はもうそれを必要としていない。
彼の完璧さは、
時代遅れで、
滑稽で、
そして痛々しい。
それでも彼は、
最後までスタイルを崩さない。
ロビーという「聞き手」の存在
物語は、
若き日のロビーの視点で語られる。
彼は孤児で、
身寄りがなく、
グスタヴに拾われた存在。
ロビーは英雄ではない。
彼は
物語を受け継ぐ役割を担う人物
この映画において重要なのは、
誰が勝ったかではなく、
誰が覚えているか。
ロビーは、
消えゆく世界の証人になる。
絵画と遺産と、争いの滑稽さ
物語の発端は、
一枚の名画の相続。
そこから、
貴族の遺産争い、
濡れ衣、
逃走劇へと発展していく。
だがここで描かれる悪は、
恐ろしいというより、
下品で慌ただしい。
暴力は増えているのに、
品位は失われていく。
それは、
世界全体がそうなっていく兆候でもある。
迫りくる「時代」の暴力
映画後半、
物語に影を落とすのが、
軍靴の音と制服。
国名は明言されないが、
明らかに全体主義の影が忍び寄っている。
ここで重要なのは、
彼らが特別に悪く描かれていないこと。
ただ、
粗野で、効率的で、無遠慮。
つまり、
新しい時代そのもの
グスタヴの美学は、
この暴力的な合理性と
決定的に相容れない。
コメディなのに、なぜこんなに切ないのか
この映画は、
台詞も展開も、
非常にコミカル。
テンポは早く、
冗談も多い。
それでも後味が切ないのは、
観客が途中で気づいてしまう
この世界は、
もう戻らない。
どれだけ愛おしくても、
どれだけ美しくても、
失われることが前提の物語。
入れ子構造が示す「語り継ぐこと」
物語は、
何重にも語り手が入れ替わる。
それは、
真実を守るためではなくて
記憶を残すため
歴史は、
勝者が書くと言われる。
でもこの映画は、
「覚えていた人」が静かに語り直す。
その姿勢そのものが、
抵抗になっている。
グスタヴが守ろうとしたもの
彼が守ろうとしたのは、
ホテルでも、
金でも、
名画でもない。
それは、
礼儀、優雅さ、
そして人を人として扱う態度。
時代遅れで、
非効率で、
無駄だらけ。
でも、
それがなくなった世界は、
とても冷たい。
この映画が残す余韻
『グランド・ブダペスト・ホテル』は、
楽しい映画。
でも同時に、
静かな葬送行進曲でもある。
笑いながら観て、
気づいたら、
何かを失った気分になる。
それは、
実在したことのない国の話であり、
もう戻らない時代の話であり、
そして、
今も少しずつ失われている価値の話。
だからこの映画は、
何度観ても
どこか胸が痛い。
美しく、
騒がしく、
そしてとても、
さよならに近い一本。

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